生きているということ・・・
皆さん、ご無沙汰しております。
ここのところ色んな仕事が増え、遅筆でだらだらと長い文章しかかけない
僕にとって、更新する時間をとることができませんでした。
こんな形でブログを再開することをとても残念に思いますが、
やはり書いておかなければならないことだと思い筆をとりました。
先週の18日にトルコ中部で日本人観光客を乗せたバスが横転し、
女性1人が死亡、重体2人を含む26人がケガをしました。
【トルコバス横転事故】ニュースソース
実はその亡くなられた女性が、自分のレッスンによく参加してくれていた
お客様だったのです。
19日の朝にある会員さまからその方の訃報を聞いた時は、
ショックを受けたものの、正直実感はわいてこなかった。
急ぎネットでニュースを検索すると、死亡された女性は確かに
私の知っている方と同姓同名で年齢も同じだった。
よくレッスンに出てくれて、そして中林の試合にも応援に来てくれた
あの人がもうこの世にはいない・・・。
バスに乗っていた27名のうち、亡くなったのは一人だけだった。
「なぜあの人だけが・・・」と思ってしまう。
そういう運命にあったからなのか?
僕は運命なんてものは信じていない。
生きているということはいつ死んでもおかしくないということなんだ。
誰に限らず、生きている僕らにはその対極にある「死」というものは
常に隣りあわせだということだと思う。
自分たちの恵まれている環境によってついその事実を忘れてしまっているが、
いや、気づかないふりをしているのか、それが人間だけでない全ての生き物
の定めなのだと思う。
その死と隣り合わせの状況、つまりいつ死んでもおかしくない状況である
ことを認識し、受け入れてこそ今生きている価値もまた見直すことができる
のではないだろうか。
この前、「出口のない海」という映画の感想で書いたことが、
このような現実に直面してより思いしらされることとなってしまった。
「生きていること」
それだけでも十分価値のあることだと思う。
だが、誰にでも平等ではないこの命をただ無駄に生きるのは、
生きることを望んでも叶えられなかった人々にとって冒涜になるの
ではないだろうか。
人の死を意味あるものにする為には、
そこから何かを感じ学ばなければならない。
これを生きている者の自己満足と言ってしまえばそれまでかもしれない。
だが現世に残された者にとって、そのような意義を見つけなくては
どのようにしてその喪失感から救われることができるだろうか。
そして、いつか来るであろう自分の死に対しても、
そのような他者への影響という繋がりを感じることができることで
死を受け入れられるのではないかと思う。
つまり、自分が死んでも、自分の周りの人達の心の中に生きることが
できれば自分の人生以上に生き続けることができるということ。
たとえ、肉体が滅びようとも魂は永遠であるということなのかな。
人の記憶に残ることとは、
別に歴史に名を残すなんて大げさなことじゃない。
自分と出会った人間の中に何かしらの形で残ることができれば
それだけでも凄いことだと思う。
その為には、自分の人生という道の途中で起こる多くの出会いを大切にし、
自分を取り囲む世界を幸せにする努力をすることでなにかしらの影響を
周りの人達に与えられるのではないだろうか。
僕は僕の為にも自分を取り囲む世界で何ができるのかを考え続け、
できることをやっていこうと思う。
今を一生懸命生きる。
これがあなたの本当に残念な死という現実に直面し、
それを受け入れるために僕なりに導き出した考えです。
僕だけでなく、多くの人があなたの死から色んな考えを
導き出すことでしょう。
あなたは僕の心の中で僕が死ぬまで生き続けます。
ご冥福をお祈りします。
Posted by akimax1229 at 03:54
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